19世紀後半から20世紀初頭のアメリカは、まさに工業化の波に乗ったモダン社会の実現に向けてあらゆる分野が活気に満ちていました。こうした時代背景のもとグスタフ・スティックレーとその兄弟たちは天与の才能を家具製作の分野で発揮しました。彼らがデザインしたミッション家具はアメリカにおける現代家具の原点といわれるほど、美的で洗練された雰囲気を持っています。長兄のグスタフ・スティックレーは1857年にウィスコンシン州で生まれました。彼は英国で起こったアーツ&クラフト運動の洗礼を受け、それを米国に広めたことで特筆される家具デザイン史の重要人物です。彼には12歳違いの弟レオポルドをはじめ、ジョン・ジョージ、チャールズ、アルバートといった兄弟たちがいます。後にこれらの兄弟はすべてスティックレー家具の後継者として要職につき活躍します。グスタフは開拓時代の貧困な家庭に育ち12歳の時にはすでに家の長として煉瓦職人になります。単純な労働に明け暮れながらの彼は手仕事の重要性と職人の地位向上に目覚めていきました。彼は16歳になると伯父の家具工場に職を変え家具職人の道を歩み始めます。「木を細工することへの憧れ、美に対する評価、そして木が持つ自然の色彩、肌合い、木目への私の興味はそこから始まった」と後にグスタフは語っています。
その頃彼はラスキンやモリスらの提唱したアーツ&クラフト運動に刺激され英国に渡ります。帰国後、当時の新しい美術理論や工芸、建築を含めた「ザ・クラフツ」という雑誌を発行しその美学を啓蒙していきました。さらに銅細工師、革職人、ステンドグラス職人などを擁護するための「ファーム」の建設にも着手します。優れた才能と手腕を発揮した兄弟たちの努力でスティックレー家具は不動の地位を築き上げていったのです。米国中西部で育ったスティックレー兄弟たちは豊かな森林、美しい田園の自然こそアメリカ人のルーツだと考えていました。そして木の素材のすばらしさを生かしながら格調高いミッション家具を数多く世に送り出しました。グスタフは中産階級に属する一般の人たちに良質の家具を提供することを念願したのです。スティックレーのミッション家具はそういう意味で、アメリカの憧れの家具と言ってもいいでしょう。
OLDファクトリーは現在、スティックレーミュージアムとして活用されています。
1900年、レオポルド・スティックレーはニューヨーク州イーストウッドのクラフトマン・ショップから独立し、弟ジョン・ジョージとニューヨーク州フェイエットビルのコリン・シソン&プラネット家具工場を買収し、その4年後にL.&J.G.スティックレー社を設立しました。クラフトマン・ショップでは米国のアーツ&クラフト運動の中心的存在である兄グスタフのもとで働いていました。
米国のアーツ&クラフト運動のルーツはヨーロッパでした。英国のジョン・ラスキンやウイリアム・モリス、スコットランドのチャールス・レニー・マッキントッシュ、オーストリアのジョセフ・ホフマン等が当時のビクトリアン風の飾り立てた様式に変えて機能的で簡素な新しい様式を提唱していました。
米国西部の「グリーン兄弟」、中西部の「フランク・ロイド・ライト」、ニューヨークのスティックレー兄弟らがこの新しい様式の影響を受け実践しました。
L.&J.G.スティックレーは1905年にミシガン州グランド・ラピッツでの展示会に最初の家具シリーズとして「ミッション・オーク」を出品しました。ミッション・スタイルの簡潔な造りは当時のアメリカ家具製造業界に一石を投じました。このミッション・スタイルは第一次世界大戦の終り頃には殆ど人気を失ってしまいましたが、当時の製品は博物館や収集家たちに欲しがられオークションで高値を付けています。1999年11月にはグスタフ・スティックレーがニューヨーク・シラキュウスの自宅用に製作したサイドボードが596,900ドル、日本円でおよそ7,160万円(1ドル120円換算)という史上最高値で落札されました。
NYのオークションブランド:クリスティーズにて落札されたスティックレーの家具。
落札者がアカデミー主演女優賞も受賞したことのあるバーブラストライサンドだったこともあり、多くの注目を得る。
1922年レオポルドは「時代に合った人気のある仕上げのデザイン」を提唱しニュー・イングランドやペンシルバニア地方の古い住宅を彼の感覚で改造する事業を実行しました。
また英国の影響を受けながらも、アメリカン・コロニアル・デザインを基本に、アデロンダック地方で豊富に産出するブラック・チェリー材の木目の美しさと堅牢さとを生かした「チェリー・バレー」コレクションを開発しました。1956年1月21日、すっきりしたデザイン、堅牢な構造、実用性などが認められ、スティックレーの技能とレオポルドは「米国家庭生活に寄与した家具生産者で家具メーカーの敬愛する長老」として「ハウス・ビューティフル」「ハウス&ガーデン」「ナショナル・ジオグラフィック」「ザ・ニューヨーカー」「フォーチュン」など数々の雑誌から表彰されました。
1957年レオポルドの死去の時、L.&J.G.スティックレー社は全国で最も信頼される家具メーカーとなっていました。彼の未亡人ルイーズは創業時の一部の社員と共に事業を継続しました。
1974年、L.&J.G.スティックレー社はアウディ・アルフレッドとアミニー夫妻に買収されて、新しい発展段階に入りました。現在、同社は1,400名を超える職人や工員を抱えていますが、1974年、買収された時の従業員はわずかに25名でした。スティックレー社の熟練した家具職人の新チームは良質のホンジュラス産マホガニー材でクラシック・デザインの家具も製造しています。マホガニーは18世紀中期の優美な形に合う木目を持っています。これらの精巧に細工され仕上げられた家具は、スティックレーが伝統を正しく受け継いだアメリカン・クラシック家具生産においてゆるぎない評価を得ています。しかし、スティックレーの高い評価は歴史的なミッション・オーク・コレクションのお陰ともいえましょう。当時デザインした職人の考え方を反映した精妙で現代的な品質と構造が、1900年当時に受け入れられたように現在も若い世代のコレクターや家具愛好家に受け入れられているのです。
アウディ一家を中心に現在の従業員たちはアート&クラフトの遺産とスティックレーの誇りを忠実に継承していきます。
NY,近代美術館貯蔵のスティックレースピンドルチェア
マッキントッシュやフランク・ロイド・ライトなどと一緒に紹介されています。